「鎌倉殿の13人」死角から現れる刺客は公暁か、あるいは…第43回放送「資格と死角」予習 (3/7ページ)
これについては朝廷の中でもちょっと議論を呼んだらしく、『吾妻鏡』にもそのことが書いてあります。
晴。申剋。尼御臺所御還向。南山御奉幣無爲。御在京之間有珎事等。去四日御幸于大秦殿。仍立御車於三條河原邊。令見物給。因茲。御幸之儀殊被刷之云々。同十四日可令敍從三位之由宣下。上卿三條中納言〔參陣〕。即以淸範朝臣。被下件位記於三品御亭。此事儀定及細碎歟。出家人敍位事。道鏡之外無之。女敍位者。於准后者有此例。所謂。安徳天皇御外祖母也。亦知足院殿御母儀准后事。適出家以後也。仍以彼准據被敍之云々。同十五日自仙洞可有御對面之由雖被仰下。邊鄙老尼咫尺龍顏無其益。不可然之旨被申之。抛諸寺礼佛之志。即時下向給云々。
※『吾妻鏡』建保6年(1218年)4月29日条
出家した者に官位を与えるのは、逆賊・道鏡(どうきょう)の悪しき前例のみ。と思ったら、藤原全子(ふじわらの ぜんし/またこ。知足院殿・藤原忠実の母)も出家後に官位を授かっていたので、めでたく認められたようです。
また、この他にも4月4日に後鳥羽上皇(演:尾上松也)の行幸を見物するなど楽しんだようですが、その上皇陛下(仙洞)より「対面を許す」との仰せがあるとこれを辞退しました。
「畏れ多くも上皇陛下に、こんな田舎婆さんがお会いするなど、お目汚しになるだけです」
【読み下し】辺鄙(へんぴ)の老尼(ろうに)、龍顔(りゅうがん。高貴な=陛下のお顔)の咫尺(しせき。お近づきになること)その益なし。
実に慎み深い態度ながら、実のところは取り込まれまいと敬遠したのではないでしょうか。そのまま長居するのも気まずいので、辞退した4月15日にすぐさま京都を出発したのでした。
時房、蹴鞠を披露するさて、政子に随行していたトキューサこと時房。こちらは京都に残ります。後鳥羽上皇の蹴鞠(しゅうきく)にお付き合いするためです。
晴。相州依召被參御所。洛中事被尋仰之處。相州被申云。先去月八日梅宮祭之時。御鞠有拝見志之由。内々申之間。臨幸件宮。右大將〔半蔀車。具隨身上臈〕被刷顯官之威儀。是皆下官見物之故也云々。