承久の乱で言及される「九郎判官」とは何者?角田太郎胤親のエピソード【鎌倉殿の13人】 (3/4ページ)
ほか2名については矢で射殺したか、あるいは首級を挙げずに打ち捨てたのでしょう。
美六・美八とは恐らく美男の六郎、同じく八郎の意味(二つ名)と考えられます。よほどハンサムだったのでしょうね。
「九郎判官」と言えば、お馴染み源義経。死後30年以上にわたって、郎党たちが鎌倉への復讐を狙った?(イメージ)
ところで、この九郎判官(くろうほうがん)とは誰でしょうか。そう聞いてパッと連想するのは源義経(演:菅田将暉)。主君が滅ぼされた後、その残党である兄弟が鎌倉幕府に復讐しようと官軍に与した……のかも知れません。
しかし、義経が滅んだ文治5年(1189年)から30年以上が経過しており、当時の生き残りであればかなり老齢のはず。
ここで言う九郎判官とは三浦胤義と考えられます。彼も通称は九郎(平九郎)、検非違使(判官)に任じられていたため義経と同じく九郎判官です。
承久の乱における中心人物であり、義経より当事者性が高いことから、より説得力が感じられます。
義経は源(みなもとの)九郎判官、胤義は平(たいらの)九郎判官。こういう共通点(九郎判官)と違い(源・平)が面白いですね。
終わりにかくして宇治川の武功が記録された角田太郎。ちなみに『承久記』には共に出陣した角田弥平次(やへいじ)という者が記されており、こちらは特に武功を立てたとも討死したとも言及がありません。無事だといいのですが……。