「鎌倉殿の13人」打倒義時、燃え上がる後鳥羽上皇の野望……第47回放送「ある朝敵、ある演説」予習【前編】 (4/7ページ)

Japaaan

々外記廳。陰陽寮。園韓神等免其災云々。

※『吾妻鏡』承久元年(1219年)7月25日条

鎌倉からの視点なので飛脚からの報告となっており、ここでは討たれた理由を「叡慮に背く(≒後鳥羽上皇の気に障った)」とされてます。

炎上する内裏(イメージ)

将軍位を望んで謀叛を起こしたから討たれたとも、ただ気にくわなかった(将来の脅威と恐れられた)から討たれたとも解釈可能ですが、大河ドラマではどのように描くのでしょうか。

さて、やると決めたら仕事の速い後鳥羽上皇。義時討伐の世論を盛り上げるためのプロパガンダ(政治宣伝工作)や呪詛も手抜かりありません。

……京童を集めさせ給て、ぎじちやうとうとうたへとて、物を給はりければ、さなきだにすゞろごと云に、ぎじちやうとうとうとぞ申ける。是は義時打頭と云文字のひゞき也、又年号を承久と付たるも深き心あり。其上南都・北嶺に仰て、義時を呪詛し給ふ……

※『承久記 上(前田本)』より

【意訳】京都じゅうから人々を集めて褒美を与え「ギジチョウトウ」と唄うように命じた。まったく下らない限りだが、彼らはギジチョウトウと唄い回った。これは「義時打頭」という意味である。あわせて先ごろ建保から承久に改元したのも意味があり、奈良興福寺と比叡山延暦寺(南都・北嶺)に義時の呪詛を命じる。

「「鎌倉殿の13人」打倒義時、燃え上がる後鳥羽上皇の野望……第47回放送「ある朝敵、ある演説」予習【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、藤原秀康承久記大江親広伊賀光季三浦胤義カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る