鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺から、五代執権・北条時頼の廟所のある「明月院」へ (4/5ページ)

Japaaan

ある朝のこと、屋敷の家人たちが、ただごとではない様子。どうやら、この屋敷の娘の姿が見えなくなったらしいのです。

昼近くになって、坂の下の漁師が、大鷲が何か大きなものを爪にかけて、大空へ飛ぶのを見たと証言すると、時忠は、娘の仇を果たそうと、家来に「鷲を射止めよ」と命じ、里人総出で、鎌倉中を駆け巡って、大鷲を探し回りました。

伝説では、粟船(大船)の岡野辺りに骨が落ちていたとされています。時忠は、鷲の爪と嘴でつつかれた無残な娘を抱きしめ、きれいに洗い清め、鎌倉中でも高さ一、二といわれる「六国見山」に葬ったということです。

この話が、史実かどうかは今となってはわかりませんが、どちらにせよ、山道には沢山の枯葉が落ちていたのにもかかわらず、ここだけはきれいに掃除されており、今のこの場所は、地元の人に大切にされていることがわかります。

そうこうしているうちに展望台に到着しました。じつは、この展望台が頂上ではなく、まだまだ先に登れそうです。

体力的にもきつくなってきたので、ここでいったん降りることに決めました。ここからは人が一人通れるほどの道を下っていきます。

参道を降りて、ふと振り返ると庚申塔が並んでいました。さらに、そこを北鎌倉駅方面に、道なりに進んでいくと、五代執権・北条時頼の廟所がある明月院があります。同寺は、「あじさい寺」として全国でも名前が知られています。時期になると境内で一斉に咲いているあじさいの花は、とても見事です。

「鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺から、五代執権・北条時頼の廟所のある「明月院」へ」のページです。デイリーニュースオンラインは、鎌倉時代明月院鎌倉カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る