鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺から、五代執権・北条時頼の廟所のある「明月院」へ (1/5ページ)

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鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺から、五代執権・北条時頼の廟所のある「明月院」へ

三代執権・北条泰時の菩提寺のある常楽寺は、大船駅より歩いて15分程の所にありました。

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鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺の裏「粟船山」に伝わる悲しい伝説

この寺院は、北条泰時の義母のために創建されたとはいわれていますが、明らかになっている他の執権の墓所が、鎌倉市内の比較的近いところに点在しているのに対し、3代執権である泰時は、駅で言えば1つから2つ離れた場所に葬られていて、不思議に感じました。

「大船」という地名から考えると、この辺りはかつて「大きな船」が入ることができる湾があったと考えることが出来そうです。「では、ここからどのように鎌倉に抜けて行ったのか?」ふと、疑問に思い、地図を見てみると、山や丘などを切り開いて、通路を作った、「大船の切通し」と呼ばれる場所を見つけたので行ってみました。

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