北条時政・義時・泰時の後は?鎌倉幕府の歴代執権17代を一挙紹介!【鎌倉殿の13人】 (3/18ページ)

Japaaan

これを快く思わない後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)から追討の院宣を下されるが、一戦交えて勝利を収める(承久の乱)。

第3代・北条泰時

第3代執権・北条泰時。歌川国芳「和田合戰義秀惣門押破」

生没:寿永2年(1183年)生~仁治3年(1242年)没(60歳)
在職:貞応3年(1224年)6月~仁治3年(1242年)6月(18年)
官位:正四位下/左京権大夫
将軍:源頼朝(初代)・源頼家(第2代)・源実朝(第3代)・藤原頼経(第4代)

【義時との関係】庶長子(側室が生んだ長男)

【主な事績】承久の乱で総大将を務め、義時の跡を継いで執権に。叔父・北条時房(ときふさ)と共に評定衆(合議制)を新設、御家人らの基本法となる御成敗式目(貞永式目)を定めるなど社会の安定化に尽力した。

「北条時政・義時・泰時の後は?鎌倉幕府の歴代執権17代を一挙紹介!【鎌倉殿の13人】」のページです。デイリーニュースオンラインは、北条貞時北条熙時北条師時北条宗宣北条守時カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る