わたしたちが知らないスーホの白い馬の真実と当時のモンゴル (5/8ページ)

心に残る家族葬

そうした中、もしも馬が抵抗し、人が乗っていない状態で逃げ出してしまったとしても、それを追いかけ、何本もの弓で射かけ、あろうことか、殺してしまうことはない。簡単に追いつける。万一、馬の体に弓が刺さってしまったとする。その手当てにしても、『スーホ』のように、いきなり矢を抜くことはしない。羊の毛を燃やし、それを用いて馬の傷口を焼きふさぐ。そうすることで、止血のみならず、傷口の化膿を防ぐのだという。

しかもモンゴルの習慣法をまとめた『ハルハ・ジルム』(1709)によると、健康な馬、がちょう、カエル、ヘビ…などを殺してはならない。殺す者がいたら誰であっても、その者の馬1頭を没収する」と定められていたことから、たとえ土地を治める殿さまであっても、それを破ると、法に則り処罰を受けねばならない。

しかも遊牧民たちは、『馬頭琴』や『スーホ』で言い表されているように、「貧しかった」のか?第2次世界大戦終了後の毛沢東(1893〜1976)体制当時、共産主義の下に一致団結し、国を復興・発展させていこうという大きなうねりの中にあった中華人民共和国、そしてそこで生きていた、塞野を含む中国の人々の目には、確かに「貧しい」「何も持たない」、そして「富裕」「豪奢な暮らしをしている」資本家に搾取されている哀れな存在に見えたかもしれない。しかし、その生活が何世紀にも渡って「成り立ってきた」モンゴルの遊牧民にとっては「あの状態」は決して、「貧しい」「何も持たない」ものではなかった。ごく普通の、平和な日常だったのだ…

■伝統は最初は伝統ではなかった

作家の藤井青銅(1955~)によると、すべての「伝統」は、始まったときには伝統ではなかった。しかし、何らかの必然性や意義があって続けられてきたものが、後々、「伝統」になった。「伝統」の中には、年月を経るうちにその意義や必要性が変化したり消滅したり、そして忘れられたり、或いは、ただ「続けることそのもの」だけが存在理由になっているもの。または、何らかの「権益、権威の維持と保護」のためだけに続けられている、名ばかりの「伝統」もある。

藤井が言う「伝統」とは、「民話」「言い伝え」「伝説」に関しても、同じことが言えるのかもしれない。

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