「どうする家康」ついに今川を見限った元康。駿府の瀬名たちはどうなる?第3回放送「三河平定戦」振り返り (7/8ページ)
浅羽三太夫(あさば さんだゆう)の妻と娘
大竹麦右衛門(おおたけ むぎゑもん)の妻
大竹兵右衛門(おおたけ へいゑもん)の妻
奥平貞能(おくだいら さだよし)の妻
西郷正勝(さいごう まさかつ)の妻
設楽貞通(しだら さだみつ)の妻
菅沼貞景(すがぬま さだかげ)の妻
菅沼定盈(さだみつ)の妻
松平清善(まつだいら きよよし)の妻
松平家広(いえひろ)の妻
水野藤兵衛(みずの とうべゑ)の妻
時に永禄4年(1561年)、彼女たちは龍拈寺(りゅうねんじ。愛知県豊橋市)で処刑され、中野新田の十三本塚に葬られました(人数および塚の場所については諸説あり)。
家族を駿府に残している≒松平が独立すれば見殺しにせねばならないのは、何も元康だけではないのです。忠次や数正はじめ、家臣たちも多かれ少なかれ今川に人質をとられた状態だったはずです。
その多大なる犠牲を乗り越えてでも、松平の独立回復は三河人の悲願でした。そういうところの描写をすっ飛ばしているから、何となく元康だけ可哀想に見えてしまいますが、そういう背景にも思いをいたして貰えたらと思います。