戦国時代は「椅子取りゲーム」から始まった!「明応の政変」後のややこしい争乱まとめ【後編】 (3/3ページ)
その一方、近江坂本へ追いやられていた前将軍・義晴は、そんな義維との争いを続けました。そして1531年には晴元が高国を摂津で破り、高国は自害に追いやられます。
ここまで来れば、情勢としてはあとは義維が将軍に就任するだけなのですが、しかし堺公方もまた内紛が多く、なかなか就任するチャンスがないまま、晴元とだらだら喧嘩を続けることになってしまいました。
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こうして、椅子取りゲームの椅子のようになってしまった将軍職を巡り、室町幕府は義晴方と義維方の二つに二分され、日本は果てしない抗争が当たり前の乱世・戦国時代へと突入していったのです。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan