戦国時代は「椅子取りゲーム」から始まった!「明応の政変」後のややこしい争乱まとめ【後編】 (1/3ページ)

Japaaan

戦国時代は「椅子取りゲーム」から始まった!「明応の政変」後のややこしい争乱まとめ【後編】

まだ続く争い

【前編】では、明応の政変で最高権力者の座に就いたかと思われた細川政元が命を落とし、彼の養子の澄元と現将軍・前将軍の三つ巴の戦いになったところまで説明しました。

戦国時代は「椅子取りゲーム」から始まった!「明応の政変」後のややこしい争乱まとめ【前編】

この三つ巴の戦いを制したのは、前将軍の足利義稙でした。結果、現将軍の足利義澄は近江へと追われることになり、政元の養子・細川澄元も阿波へ追われていきます。

狩野元信筆の細川澄元像(Wikipediaより)

この事態を受けて、細川政元の養子の一人だった細川高国も将軍に協力します。彼は大内義興とともに幕政を掌握していきました。

しかし争いはまだ終わりません。

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