「どうする家康」正信&半蔵の名コンビ始動、服部党の忍びたちの意地…第5回放送「瀬名奪還作戦」振り返り (3/8ページ)
孤独な元康の前で、幸せな家族を見せつける於大の方たち(イメージ)
自分は岡崎城へ再婚した夫とその子供たちをわんさか連れてきて幸せぶりを見せつけつつ、今にも妻子が殺されそうな(あるいはもう殺されているかも知れない)元康に、それを言いますか?
以前の「国や家臣のためなら……」までであれば、まぁ戦国時代に生きる君主としての厳しさと好意的に解釈できなくもありませんが、今回のセリフはさすがに無神経すぎるのではないでしょうか。
(だったら今すぐお前の夫と子供たちを皆〇しにしてやろうか!?どうせ「すぐまた持てる」んだろう?!)
なんて暗い感情が芽生えたとしても無理からぬところです。これから岡崎城内に住む気満々のようですが、もし筆者が元康の立場であれば、城下に館でも与えてそっちへ住まわせると思います。
また、子供たちに対して父上(久松長家)よりも兄上(元康)の方が偉い、とかいちいち言うのもどうでしょうね。元康も長家も、お互い気まずいでしょうに。
長家が大人の度量で「そうじゃ、父が元康殿にお仕えいたす」と笑っていたものの、内心面白くないのは明らか。恐らく彼女は夫の尻を叩いて(出世するよう奮起を促して)いるつもりなのでしょうが……。
ちなみに永禄6年(1563年)に元康は「家康」と改名しますが、この家の字は長家から譲られたもの。元康が長家を義父として重んじていたことがわかります。
この時、長家は主君である家康に遠慮して久松俊勝(ひさまつ としかつ)と改名。こっちの方が有名でしょうか。