「三方ヶ原の合戦」で武田信玄に惨敗した徳川家康。しかしその負けっぷりが見事過ぎた【どうする家康】 (1/4ページ)
学生時代、部活の顧問に「勝って驕るな、負けて腐るな」などと言われたものです。
勝って驕らないのは比較的容易ながら、負けて腐らないのはなかなか胆力が求められます(というより、そもそも勝つこと自体が非常に難しいのですが……)。
古来「負けぶりにこそ将器が問われる」とはよく言ったもので、往時の武士たちもその真価を顕しました。
そこで今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』より、三方ヶ原のエピソードを紹介。
果たして徳川家康(とくがわ いえやす)は、どんな負けっぷりを魅せたのでしょうか。
浜松城へ逃げ込んだ家康。城門を閉ざさぬ理由は?……十二月廿二日三方が原のたゝかひ御味方利を失ひ。御うちの軍勢名ある者共あまた討れぬ。入道勝にのり諸手をはげましておそひ奉れば。夏目次郎左衛門吉信が討死するそのひまに。からうじて浜松に帰りいらせ給ふ……
※『東照宮御実紀』巻二
時は元亀3年(1572年)12月22日。武田信玄(演:阿部寛)の襲来を遠州三方ヶ原(静岡県浜松市)で迎え撃った徳川家康(演:松本潤)は、ボロボロに撃ち破られてしまいました。
奮戦むなしく、武田軍に惨敗する家康たち。揚洲周延「味方ヶ原合戦之図」
この三方ヶ原の合戦で徳川方は多くの将兵を喪い、夏目吉信(広次。演:甲本雅裕)が捨て身で食い止めてくれたお陰で何とか逃げ延びます。