「どうする家康」伊賀&甲賀の忍び対決が魅せた第6回放送「続・瀬名奪還作戦」振り返り (5/6ページ)
の御諱の字をたまひ、康政とめさる……
※『寛政重脩諸家譜』巻第百 清和源氏 義家流 足利支流 榊原
ともあれ、あり合わせのモノを身体じゅうにくっつけて甲冑の代わりとした小平太。腰に「無」と記されたザルが吊るされていたのは、後にこれが旗印のヒントになるのでしょう。
「無」の意味には諸説あり、家康に無二無三の忠義を尽くし、無私無欲に奉公する意気込みなどと言われています。
デビューこそ忠勝に後れをとったものの、小平太の活躍は目覚ましく、永禄7年(1564年)の吉田城攻めに際しては忠勝や鳥居元忠(演:音尾琢真)らと共に先鋒を務めました。
今後よきライバルとして成長し、やがて徳川四天王の一人に数えられる小平太(榊原康政)に注目です。
瀬名、両親との別れ「お瀬名、強くおなり……」
瀬名たちを助けるため、今川に残って罪を負う(処刑される)ことを決断した巴(演:真矢ミキ)と関口氏純(演:渡辺篤郎)。
『松平記』によると永禄5年(1562年)に関口氏純は切腹。巴(関口夫人)も後を追ったと見られますが、今川氏真(演:溝端淳平)は永禄9年(1566年)に関口伊豆守の知行に関する文書を発給しています。
当時、関口一族で氏純意外に伊豆守を称していた者はおらず、恐らくそのころまでは生きていたのでしょう。