デヴィ夫人83歳インタビュー!出川哲朗とイッテQ、ウクライナ電撃訪問…「私のエネルギーの源は“怒り”です」 (2/6ページ)

日刊大衆

だけど、ジェットコースターだけは絶対に無理! レーシングカーの助手席に座って300キロで走っても怖くないのですが、ジェットコースターだけはダメ。あんなのが好きな人は、インテリジェンスが低いんですよ(笑)。

――世代を超えて支持を集めるデヴィ夫人だが、特に10~20代の女性から熱い支持を得ている。『イッテQ!』で共演する女性タレント(出川ガールズ)との軽妙なやりとりが、若い視聴者に受けているのだろうか。

 やりとりなんか、できないですよ。若いのは素晴らしいことだと思いますけど、彼女たちから得るものは何もありません(笑)。共通点は、若い頃に女優を目指していたことくらい。ワタクシは、“ハリウッドで最初に活躍したアジア人”と言われる早川雪舟さんが主催した東芸プロの2期生で、演技やダンスを習っていました。映画の端役で出演した際に、楽屋でご一緒した浅丘ルリ子(当時16歳)さんとの写真は、今も手元に残っています。

■女優を目指した日々、スカルノ大統領との出会い

 そして、その1か月後にスカルノ大統領に出会いました。そういう意味では、今、こうして日本でテレビ出演しているのは、感慨深いものがありますね。

――そう話しながら浅丘との2ショット写真を見せてくれたデヴィ夫人。写真を見ながら、若かりし頃の記憶を振り返ってくれた。

 3年前に松屋銀座デパートで、傘寿記念として私の展覧会があったのですが、小学校の通信簿から描いた絵まで全部、茶箱に残しておいたので、担当者が大変驚いていましたね。敗戦して疎開先から戻った東京は、本当に何もありませんでした。ワタクシより背の高いペンペン草が生えていて、掘っ建て小屋が並んでいた。ちょうど今の西麻布のあたりです。“鬼畜米英”と多くの日本人が言っていた時代ですが、家の裏にアメリカ軍の駐屯所があった関係で、アメリカ兵の話す英語に憧れていました。成績が一番になるくらい、英語を勉強したんです。そして、満天の星空を見ながら、“いつか世界に飛び出して、歴史に名を残すような有名人になる”と、夢見ていました。

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