日本人の宴会好きは昔から…平安貴族の風習「焼尾荒鎮」に一条天皇もうんざり (1/3ページ)
「昇進おめでとう!前途を祝して呑みに行こうぜ!」
「彼女にフラれた?酒でも呑んで次に行こうぜ!」
「退院おめでとう!快気祝いで呑みに行こうぜ!」
……などなど。何かと理由をつけては酒を呑み、どんちゃん騒ぎをしたがる日本人。特にめでたいことについては陽気にはしゃぎ回ります。
一方で、派手なことや騒がしいことが好きでない手合いも少なからずいて、うんざりさせられることもしばしば。
そんな言わば陽キャと陰キャの鬩(せめ)ぎ合いは昔からあったようで、今回は平安貴族たちの風習「焼尾荒鎮(しょうびこうちん)」を紹介。
陽キャの代表?藤原道長(ふじわらの みちなが)と、陰キャの代表?一条天皇(いちじょうてんのう。第66代)のエピソードをひもといてみましょう。
焼尾荒鎮とは焼尾荒鎮。字を読めば「尾を焼いて荒ぶるを鎮める」と何だか物騒な感じですね。これは中国大陸の唐・宋王朝時代、科挙(かきょ。官吏登用試験)に合格した者が祝賀の宴会を催すことを言います。
尾を焼く、とは全身くまなく真っ赤になるまで酒を呑んで酔っ払うこと。そうして壮絶な受験勉強や試験(現代日本の比ではないほど苛烈なものだったそうです)で荒ぶった心身を鎮める意図があったとか。