死後の世界を説くのは現実逃避か?現実を直視させるのは良いことか? (1/2ページ)

心に残る家族葬

死後の世界を説くのは現実逃避か?現実を直視させるのは良いことか?

テレビドラマ「リエゾン-こどものこころ診療所-」(テレビ朝日)に登場する医師が、死後の世界・死後生を語ることを否定する場面があった。母親を失った女の子のケアについて医師はその父親に、天国、お空、遠い所に行った、お星様になった…などの説明をすることはごまかしであると否定し、娘には「死」とは何かを教えるべきだと説いた。発達障害を持つその女の子は、友達から「お母さんはしんでおばけになった」と聞かされて遊園地のお化け屋敷に行きたがる。父親は、お母さんはもういない、死んだ人間とはもう会えない事実を教えなくてはいけないと決意。お化け屋敷に行ってもお母さんはいない。もうお母さんには会えないのだと諭した。このストーリー自体は子役の優れた演技力もあり感動を呼ぶものだった。しかし、死は無なのだという唯物論的世界観を認めさせ、その世界観による「現実」を直視し「強く生きる」ことを推奨する描き方は違和感が残る。

■なぜ死後生を信じてはダメなのか

作中では死んだお母さんが天国に行った、お星さまになった…の説明ではいけない明確な理由は述べられていなかった。「死は無である」「死の次のステージなどはない」という唯物論的世界観が暗黙のうちに認められており、死者がこの世界とは違うどこかにいるとする「物語」は、ごまかしであり逃げであると言っているようであった。しかし会うことができないのは天国でもお空でもお星さまでも同じである。人は誰もが死ぬ。死んだあとは行くところに行く。私たちもいつか死に、またそこで会える。浄土真宗では縁のあった人とは浄土でまた会えると説く。これを「俱会一処」という。それではダメなのだろうか。
多少穿った見方をしてしまうと、作中で子供が求めていた母親の居場所が、あの世でもお星さまでもなく、お化け屋敷にしたのは、お化け屋敷に行けばお母さんはいないことを証明できるからだろう。天国やお空ではお母さんがいないことを具体的に立証できない。もしかしたら本当にお星さまになってるかもしれない期待を持ててしまう。それならそれでいいような気もする。この世では会えないが、いつかまた会える。それではダメか。そこまでして死後の行方を徹底的に否定することで何を得るのだろう。強くなれない人間はどうすればよいのか。

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