少年時代は知ってるけど…二宮金次郎(金治郎)こと二宮尊徳って何をした人なの? (1/4ページ)
薪を背負いながら読書をして歩いている二宮金次郎(にのみや きんじろう。金治郎)こと二宮尊徳(そんとく/たかのり)。
昔は「家の仕事を手伝いながら一生懸命勉強した偉い人」のお手本として、全国各地の小学校などに像が置かれていたものでした。
しかし令和の昨今では「歩きスマホと何が違うんだ。危ないじゃないか」「子供に重い家事労働を手伝わせるなんて、児童福祉に反している!」などの批判があるそうです。
それはさておき、子供の頃から一生懸命勉強したというだけなら、全国あちこちにいてもおかしくありません。
金次郎さんが特筆されたのは、それだけの活躍したからだと思いますが、果たして二宮尊徳はどんな功績を上げたのでしょうか。
今回はそんな二宮尊徳の生涯をたどってみたいと思います。
苦節を乗り越え、御家再興を果たした少年時代二宮尊徳は江戸時代後期の天明7年(1787年)7月23日、相模国足柄上郡栢山村、現代の神奈川県小田原市に生まれました。
父は百姓の二宮利右衛門(りゑもん)、母は曽我別所村から嫁いできた好(よし。川久保太兵衛の娘)です。弟には二宮常五郎(つねごろう)と二宮富治郎(とみじろう)がいます。
金次郎が5歳となった寛政3年(1791年)8月5日、南関東を襲った暴風の影響で酒匂川の堤防が決壊。金次郎一家の住んでいた栢山村東部が濁流に押し流され、壊滅してしまいました。
元は13石の田畑と屋敷を持っていた二宮家も借金を抱えて窮乏。