「どうする家康」秀頼公、いまだ着陣せず!関ケ原の戦いにおける三成・吉継ら、西軍首脳部の誤算【前編】 (2/5ページ)
そして、関ケ原の戦いの研究資料の多くは、勝者である東軍側が残したものがほとんどのうえ、江戸時代の260年にわたり、神君家康に盾突いた石田三成らは天下の謀反人として扱われていたのです。
しかし、現在では多くの研究者や歴史家の間で、関ケ原の戦いは、敗者である三成ら西軍にこそ正義があったと考えられるようになりました。なぜなら家康は豊臣政権に属し、豊臣秀頼に仕える五大老筆頭という立場にいました。その家康が、この合戦での勝利を境に、豊臣家を滅亡に追い込んでいくからです。
もちろん、多くの豊臣恩顧の大名たちは関ケ原の戦い当時に、家康の野望に気付いていたはずです。確かに、秀吉が行った朝鮮出兵では、石田三成ら文治派と、福島正則・加藤清正ら武断派との間に深刻な対立が生じました
しかし、豊臣家恩顧の者なら、あからさまな野望を抱く家康に「NO」を突き付けられるのかどうかで、豊臣家に対する本物の忠誠心が分かります。
加藤清正や福島正則は確かに優れた武将なのでしょう。