「どうする家康」弱き主君は害悪、滅ぶが民のため。武田に従う?第16回放送「信玄を怒らせるな」振り返り (3/8ページ)

Japaaan

上杉謙信との同盟について

月岡芳年「月百姿」より、上杉謙信

さて、迫りくる武田の脅威を除かんと越後の上杉謙信(うえすぎ けんしん)と同盟を結び、武田を南北から囲い込もうとした家康。

しかし信濃国で書状を奪われ、かえって信玄を怒らせる窮地に陥ってしまいます。

「なぜ武田領である信濃をまっすぐ通った?」

三河(愛知県東部)から越後(新潟県)へ使者を送るなら、織田領である尾張⇒美濃を抜けて飛騨(岐阜県北部)⇒越中(富山県)経由の方が比較的安全です。

もちろん陽動のため偽の使者を送るのも手ですが、話をシンプルにしたいなら「急がば回れ」一択でしょう。

ちなみに、江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』によると、徳川・上杉の同盟は無事に成立しています。

……此頃越後国に上杉謙信入道とて。軍略兵法孫呉に彷彿たるの聞え高き古つわものあり。今川氏真が謀にてはじめて音信をかよはしたまふ。入道悦なゝめならず。当時海道第一の弓取と世にきこえたる徳川殿の好通を得るこそ。謙信が身の悦これに過るはなけれとて。左近忠次まで書状を進らせ謝しけるが。

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