「おぐらが斬る!」食のタブーななぜ生まれた? 神の命令より人間の都合? (1/2ページ)
ある民族や宗教によって食べる物がタブー(禁忌)になっていたりする。ヒンズー教徒は牛を食べず、ユダヤ教徒・イスラム教徒は豚を食べない。
信じられないかも知れないが、昔日本人は鶏や鶏卵を食べなかった。日本人が鶏や鶏卵を食べるようになったのは、戦国時代末期や江戸時代になってからだ。
戦国時代以前、鶏は食べる対象ではなく、姿や鳴き声を楽しむ観賞用だったのだ。さらに鶏は神聖な鳥でもあった。「古事記」や「日本書紀」によると、天の岩戸に隠れてしまった太陽神アマテラスを、鶏の声で誘い出すというエピソードが描かれて、神の使いとされてきたのだ。
神社にある鳥居の起源は、神様のお使いたる鶏の止まり木なのだ。いまでも「伊勢神宮」では鶏を『神鶏』と呼んで飼っている。かくのごとく戦国時代より前は、鶏は食べ物ではなかったのだ。日本人が鶏や鶏卵を食べるようになったのは、南蛮人の影響を受けてからである。
これは神道由来の鶏食のタブーだが、仏教由来の鶏肉食が禁止された時代があった。
675年(天武4)、天武天皇が殺生を戒める仏教の教えから、牛・馬・犬・猿、そして鶏を食べることを禁じたのだ。これが日本最初の肉食禁止令となる。
その理由としては、牛は田畑を耕す、馬は人を乗せて働く、犬は番犬となる、猿は人間に似ている、鶏は時を知らせるからだとしている。禁止期間は4月から9月までの農耕期だけだ。つまり(猿以外は)人間の役に立つから食うなというわけだ。
そして「この時代は肉食禁止」と言いながら猪も鹿も入っていない。しかも禁止期間が4~9月の農耕期だけ。仏教の「殺生を戒めるため」と言いながら、結局は人間の都合なのである。
インドのヒンズー教は牛を神聖視して食べないが、インド人にとっても、牛は無料のトラクターであり、糞は燃料になり壁材になり、肥料にもなる。インドの人は「牛は神聖だから食べない」といいつつ、こきつかっているわけだ。つまり食べちゃうよりも、ヨボヨボになるまでこき使って、老いた牛は捨てちゃうのです。捨てられた牛は、野良牛になる。
インドの町をウロウロしている野良牛の多くは、人間に使い捨てされた末路であるそうな。
ユダヤ・イスラム教徒は豚を食べない。