バウムクーヘンは平和の象徴…苦難の中で日本に骨を埋めた「ユーハイム」創始者 (2/3ページ)

Japaaan

バターが多すぎると評価が下がると考えて、調整して作っていたといいます。

洋菓子店「ユーハイム」の始まり

第一次世界大戦後、ユーハイムは解放された後も日本に残ることを選び、神戸で洋菓子店ユーハイムを創設しました。

ちなみにこの前身は喫茶店「JUCHHEIM’S」で、ここでユーハイムは日本で初めてマロングラッセを作り販売したといいます。ユーハイムは日本のバウムクーヘンだけではなく、マロングラッセの父でもあるのです。

さて、彼の作る菓子は評価も高く多くのファンを獲得したといわれており、洋菓子店ユーハイムが現在もバウムクーヘンの老舗として知られているのは皆さんもご存知の通りです。

しかし、彼は第二次世界大戦でも苦難に見舞われます。神戸空襲によってユーハイムの店舗が焼け落ち、彼自身も終戦の前日に亡くなってしまったのです。

さらに言えば、先述の通り「俘虜製作品展覧会」が開催されてバウムクーヘンが紹介された広島県物産陳列館は、1945年8月6日に原子爆弾が投下されて被爆し、現在は原爆ドームとして世界遺産に登録されています。

彼の死後、弟子たちは資金を持ち寄ってユーハイムを再興しました。彼の妻エリーゼも日本に呼び寄せられて、一緒に菓子づくりに携わりました。

戦争と平和とバウムクーヘン

ユーハイムのバウムクーヘンは、日本屈指の美味しさと伝統を誇る洋菓子の一つと言ってもいいでしょう。

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