どうか殿下の陣羽織を!徳川家康が豊臣秀吉にねだった理由とは【どうする家康】 (2/6ページ)
「今日の謁見では、殿下にかの陣羽織を御所望なさいませ」
それを聞いて、家康は俄かに機嫌を損ねてしまいます。
……君某今までかゝる事人にいひし事なしといなみ給へば。二人これは殿下物具の上に着せらる陣羽織なれば。こたび御和議有しからはあながちに御所望ありて。この後殿下に御鎧は着せ進らすまじと宣へば。関白もいかばかり喜悦ならんと申す。 君もうなづかせ給ひ。秀長の饗席既に終り秀吉と共に坂城(※原文ママ。大坂城か)に上らせらる。……
※『東照宮御実紀附録』巻五「秀吉之権略」
「何を申すか。いかに素晴らしいものであろうと、わしはこれまで他人様の持ち物を羨んだり、せがんだりしたことはない!」
そんなに卑しい人間だと思っているのか……家康が怒るのも無理はありません。しかしそういう事ではなく、二人には考えがあったのです。
「徳川殿、よろしいか。陣羽織とは戦の折に物具(もののぐ。鎧)の上から着るもの。こたび和議を結ばれたからには『今後、殿下に鎧を着させるようなこと(戦に手をわずらわせる)のないよう、しっかりとお守りします』と申し上げれば、関白殿下も大変お悦びになるでしょう」
なるほど、そういう演出であったか。話を聞いて家康も納得し、謁見のため大坂城へ向かったのでした。