無礼にも程がある!北条氏政・氏直父子と対面した神の君・徳川家康は…【どうする家康】 (3/5ページ)
さぁさぁ、席につかれるがよいぞ」
当日は忠次の外に井伊直政や榊原康政も随行していましたが、彼らも必死に怒りを堪えたことと思われます。
「ところで徳川殿。上方へはいつ攻め上がろうか?」
酒が回ってきたところで、北条氏規(氏政の兄)が訊ねてきました。
(まったく、今のそなたらが秀吉と正面から戦って、勝てるなどと本気で思うとるのか)
どれほど夜郎自大なのか……とは思っても、今日はお説教に来た訳ではありません。
「まぁ上方のことはひとまず脇に置いておいて、此度は北条家と徳川家の親睦に参ったゆえ、難しい話はまた後日と致しましょう」
とか何とかはぐらかしておきながら、家康は続けました。
「ただ、もし上方と事が起こった際には、それがしが先鋒として京都まで攻め上がりましょう。また奥州で何か起こった際にも、それがしに先鋒をお任せいただければ、三年も待たず賊輩を平らげてご覧に入れましょうぞ」
この申し出に北条家の一同は感心。家康は完全に我らが味方、そう大いに喜んだということです。
家康の曲舞と忠次のアレ
さて、宴も闌(たけなわ)となりまして、家康は曲舞(くせまい。幸若舞)の演目「自然居士(じねんこじ)」を舞いました。
♪~黄帝の臣に貨狄といへる士卒~♪
そんな歌詞を聞いて、北条家臣の松田憲秀と大道寺政繁が口々にはやし立てます。
「方々、徳川殿は我らが殿へ臣従を誓いましたぞ!」
黄帝(こうてい)とは古代中国大陸の聖君、貨狄(かてき)とは彼に仕えて舟を発明したとされる人物。