明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【中編】~その思想と信念~ (1/4ページ)

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明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【中編】~その思想と信念~

「山城屋事件」の発生

【前編】では、武士の中でも最下層の身分だった山県有朋が、明治政府最大の軍人政治家として出世していくまでの経緯を見てきました。

明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【前編】~「徴兵制」施行まで~

本稿では、そんな山県が敷いた「徴兵制」や、その言動から垣間見える彼の思想と信念について解説しましょう。

彼はとんとん拍子で出世したものの、完全に順風満帆だったわけではありません。1872年には山城屋事件という事件が起きています。これは、陸軍省の御用商人だった山城屋和助が山県から陸軍省官金の不正融資を受けたという疑惑を江藤新平らに追及されたもので、山城屋は自殺し山県は辞職に追い込まれました。

江藤新平(Wikipediaより)

しかし驚くべきことに、山県はその後たった二カ月で初代陸軍卿として復職しています。

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