明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【中編】~その思想と信念~ (2/4ページ)
これは、明治政府の人間たちが「山県抜きでは日本陸軍の創設が遅れてしまう」と考えたからで、山城屋事件はかえって山県有朋という人物の信頼の高さを際立たせる結果になったと言えるでしょう。
山縣有朋は「民衆の敵」か?ところで、そんな山県は戦後、しばしば「民衆の敵」として描写あるいは記述されてきました。これについては半分正解、半分間違いと言えます。彼は、普段は汗水流して働き、戦争の際には命を投げ出して戦うような民衆に対しては愛情を持ち、自分の召使にも優しく親切な性格だったといいます。
つまり彼が「愛すべき国民」と考えていたのは、国家や政府のために尽くす人々だったと言えます。その逆、反政府の人々や政府の批判者は、山県にとって唾棄すべき存在でした。
その、唾棄すべき存在の最たるものが自由民権運動の担い手たちです。最近はよく知られるようになってきましたが、当時の自由民権運動は穏健なものではなく、特に急進的だった運動家は政府転覆論をぶち上げていたとされています。
そうした、山県のいわば「国家第一主義」がもっともよく表れていたのが、竹橋騒動です。