明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【中編】~その思想と信念~ (3/4ページ)
これは近衛兵たちの反乱事件で、原因は西南戦争時の近衛砲兵隊に対する論功行賞の遅れと給与の引き下げが原因でしたが、山県は騒動の背後には、軍人たちへの民権論の浸透があるとにらんでいました。
そこで山県が中心となり作られた軍人勅諭では、「兵力は国家を保護し国権を維持するのが役割である。兵士は世論に惑わされず、政治にかかわらず、ただ一途に自分の本分の忠節を守れ。義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽いと思え(意訳)」と書き記しています。
軍人が政治のことに口出しするな、と厳しく戒めている内容で、ここには山県の国家第一主義や、軍人政治家としての矜持が見て取れます。
「軍事・政治」分離思想山県有朋という人物が強権主義的だったかどうかについては、さまざまな解釈があります。ただ、彼はもともと軍事と政治を完全に分かつことを是としており、少なくとも政治が軍事に口を挟むことは徹底して戒めたと言えるでしょう。
彼は、政治が軍事に介入することを防ぐため、1878年に参謀本部を設置しました。そのトップである参謀本部長は、軍事に関しては天皇をサポートする最高機関であり、陸軍卿や政府からも独立した存在として位置づけたのです。