瀬戸内海に橋を!168名が犠牲になった「五大事故」のひとつ・紫雲丸事故とは?【後編】 (3/4ページ)

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事故を起こした宇高連絡船は、その後、悪天候の中での出航を避けるようになり、これによって輸送上の障害が生じたことから、1988(昭和63)年の瀬戸大橋開通へとつながっていったのです。

また、1998(平成10)年に開通した明石海峡大橋も、紫雲丸事故をはじめとする瀬戸内海での船舶事故を受けて一気に建設・開通への機運が高まったとされています。

これらの「大橋」の架橋によって、四国と本州を結んでいた宇高航路は次第に使われなくなりました。そして航路開設から78年目、すなわち瀬戸大橋が開通した1998(昭和63)年の4月9日に航路としての役割を終えています。

瀬戸内海と瀬戸大橋

紫雲丸は呪われた船?

ところで、実は紫雲丸は複数回の事故を起こしており「呪われた船舶」とされることもあります。

最初の事故は1950年(昭和25年)3月25日に宇野を出航した鷲羽丸と衝突した事故で、これにより紫雲丸は沈没し7名が死亡しました。その後も1951~1952年の二年の間に接触事故を一回、衝突事故を二回起こしています。

そして五度目の衝突事故が本稿で紹介した第三宇高丸との衝突事故で、「紫雲丸事故」と言えば最も犠牲者数が多いこの事故を指すことが多いです。

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