本当にイカサマ師だったのか?本多正信とはどんな人物?その生涯をたどる【どうする家康】 (2/5ページ)

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月岡芳年「阿根川大合戦之図」……この中に正信がいたかも?(イメージ)

数年後、高木広正の仲立ちで徳川家へ帰参。元亀元年(1570年)の姉川合戦では朝倉の軍勢に斬り込んで武勇を奮いました。

天正14年(1586年)5月に従五位下・佐渡守に叙せられ、天正18年(1590年)に家康が豊臣秀吉の命で関東へ国替えされた際には、一万石の大名に出世します。

ちなみに、この一万石がどこの所領かについては諸説あるそうです。

(1)上野国八幡(群馬県高崎市)に一万石
(2)上総国八幡(千葉県市原市)に五千石、その他五千石
(3)その他の内訳は下総国佐倉(千葉県佐倉市)と相模国甘縄(神奈川県鎌倉市)

更に月日が流れて慶長4年(1599年)、石田三成や増田長盛が徳川抹殺をたくらんで不穏な空気が漂いました。当時伏見で秀吉亡き後、豊臣政権の政務を支えていた家康は、正信を召し寄せて有事に備えます。

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