本当にイカサマ師だったのか?本多正信とはどんな人物?その生涯をたどる【どうする家康】 (5/5ページ)
親密な間柄でいながら、言うべき時はしっかりと諫めて過ちを正し、徳川家中の絆を強めた大功労者でした。
家康が駿府から江戸を訪れ、あるいは鷹狩りなど楽しむ時、正信は昼夜を分かたずそばに仕えたそうです。
およそ国政の舵取りをすること十七年、七十歳を超える老齢となってもなお衰えず活躍しました。
後に正信は政治の教訓七ヶ条を記して正純らに遺し、これが『本佐論(本多佐渡論)』と呼ばれました。
そして元和2年(1616年)6月7日、正信は4月17日に余を去った家康の後を追うように79歳の生涯に幕を下ろしたということです。
終わりに以上『寛政重脩諸家譜』が伝える本多正信の生涯を、駆け足でたどってきました。
一度家康を裏切ったのは事実ながら、大河ドラマ「どうする家康」にあるような胡散臭さや「イカサマ師」ぶりは見受けられません。
ここにはないけど大久保忠隣を失脚させていることから、大久保忠教(忠世の弟)はじめ大久保びいき等から憎まれているのは仕方ないとしても、もう少し彼なりの思想や信念が描かれて欲しかったと思います。
家康の死を見届けることになる正信は、果たしてどんな最終回を迎えることになるのか……今から楽しみですね。
※参考文献:
『寛政重脩諸家譜 第4輯』国立国会図書館デジタルコレクショントップ画像(左):NHK大河ドラマ「どうする家康」公式HPより
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