「どうする家康」浪速のことは夢のまた夢…第39回放送「太閤、くたばる」振り返り (5/7ページ)
楽しみですね!
秀吉の最期秀吉が死の数カ月前に楽しんだ、醍醐の花見(画像:Wikipedia)
返々、秀より事、たのミ申候、五人のしゅたのミ申候
いさい五人の物ニ申わたし候、なこりおしく候、以上、
秀より事、なりたち候やうに、此かきつけ候
しゅとして、たのミ申候、なに事も此ほかにわ
おもひのこす事なく候、
かしく、
八月五日 秀吉
いへやす
ちくせん
てるもと
かけかつ
秀いへ
まいる※秀吉遺言状
【意訳】何度も繰り返すが、秀頼のことをお頼み申す。五人がた、お頼み申す。詳しいことは五人がたに申し渡した。名残惜しくてならない、以上。
秀頼がちゃんと生きていけるよう書き遺しておく。かたがたにお頼み申す。この他には何も思い残すことはない。かしこ。
慶長3年(1598年)8月5日
徳川家康殿、前田利家(筑前)殿、毛利輝元殿、上杉景勝殿、宇喜多秀家殿へ送ります。
いったい何回「たのミ」申すのか……この繰り返しに、秀吉の未練が伝わりますね。
どんな栄華も財産も、あの世へは持って行けません。また現世の一切につき、遺された者に託すよりありません。
自分が死んだら、まだ幼い秀頼がどんな目に遭うか分からない。