「どうする家康」三成の挙兵と茶々の陰謀、そして高笑う神の君…第41回放送「逆襲の三成」振り返り (8/9ページ)
鳥居元忠との別れ
……慶長五年四月十六日上杉景勝を御征伐のため大坂城を御首途、十七日伏見城に御滞座あり、元忠をよび松平主殿助家忠、内藤彌次右衛門家長、松平五左衛門近正等を御前にめされ、我今度景勝を征伐す、渠が滅亡時日を移すべからず。しかれども石田三成このときを覘て叛心を企つべきの疑ひあり、これによりて汝等を選みて、この城を守らしむ。もし變あらば、木下若狭守勝俊が松丸の兵をもつて援平とすべしとの鈞命をかうぶる……
※『寛政重脩諸家譜』巻五百六十 平氏(支流)鳥居
家康が伏見城を訪れ、鳥居元忠と別れを告げる場面です。
劇中では差し向かいでしたが、文献によって他の武将たちも同席していました。やっぱり家臣の一人々々に心を配ってこそ、我らが神の君というもの。そういう描写を、これまでもっと観たかったと思います。
同席していたのは松平家忠、内藤家長、松平近正たち。みんな昔から付き従ってきた歴戦の老勇士です。
「わしが会津へ向かえば、治部らは兵を挙げるだろう。そなたたちにこの伏見を預ける」
「「「御意」」」
それが捨て石として死ぬことを意味していると、誰もが理解していました。劇中では「逃げることはならぬ」なんて家康自ら言っていますが、元忠が逃げるなんてあり得ません。あのセリフは、いささか野暮に過ぎたのではないでしょうか。