大坂の陣で尽力!!戦国武将・大野治長の3人の弟たちの活躍と最後を紹介【どうする家康】 (4/5ページ)

Japaaan

南都を焼き討ちした平重衡/Wikipediaより

翌年の大坂夏の陣では徳川軍の兵站となっており、武器や弾薬を影響していた堺の焼き討ちを決行。そして、天王寺・岡山の戦い後に大坂城から脱出を図るも、徳川軍に京都で捕縛されました。

捕縛された治胤は京都所司代の板倉勝重が預かっていました。

しかし、堺衆が平安時代に南都を焼き討ちした平重衡(たいらの-しげひら)が南都衆に引き渡された例を挙げた上で訴えたことで、堺衆に引き渡されます

その後、6月27日に堺衆によって治胤は火あぶりの刑に処され、命を落としました

また、『葉隠れ』では火あぶりによって炭になった治胤が、徳川軍の武士に脇差で斬りかかった後に灰になったという摩訶不思議な話も残っています。

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