大坂の陣で尽力!!戦国武将・大野治長の3人の弟たちの活躍と最後を紹介【どうする家康】 (1/5ページ)

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大坂の陣で尽力!!戦国武将・大野治長の3人の弟たちの活躍と最後を紹介【どうする家康】

豊臣秀頼の重臣で、大坂の陣の中心人物である大野治長

母が淀君の乳母であり、淀君とは乳兄妹の関係だった治長には、大野治房(はるふさ)・大野治胤(はるたね)・大野治純(はるずみ)の3人の弟がいました。

治長含め四兄弟は、全員大坂の陣に関わりがありますが、治長に焦点が行きがちで他の3人の活躍はあまりご存じない方の方が多いのではないでしょうか。

そこで今回は、兄・治長の影に隠れてしまっている3人の弟の活躍をご紹介します。

大野治長(真ん中)/Wikipediaより

主戦派の筆頭で兄と対立した治房

豊臣秀頼/Wikipediaより

治長の長弟に当たる大野治房は、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では船場方面の守備を任されていました。

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