幕末期「刀」に見切りをつけた新選組!実は和装で刀剣を振るう隊士はいなかった【後編】 (3/4ページ)

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また、蘭学医の指導を取り入れた生活改善策も取り入れており、彼らは西洋式の技術を積極的に活用していました。

こうしたやり方について、隊士たちの反応はさまざまでした。素直に新しいやり方を受け入れた者もいれば、忌避する者もいたようです。

例えば鳥羽・伏見の戦いでは、不慣れな洋式戦術を捨てて白兵戦に臨み、撃たれてしまった隊士も大勢いました。

それに、もともと組織が洋式化するのを不満に思っていた隊士も大勢いたようです。【前編】でご紹介した鳥取藩の記録には「西洋不服の士多々」と書かれています。

ちなみに、この「西洋不服の士」の代表格が、新撰組を扱ったエンタメ界隈では悪役にされることが多い武田観柳斎です。

彼は旧来の兵法を学んできた軍学者だったので、西洋式の新しいやり方は我慢できなかったのでしょう。

和装で刀剣を振るう隊士はいなかった

それでも鳥羽・伏見の戦いでは、多くの隊士が、今さら刀剣にこだわっても犬死にするだけだと分かっていました。

伏見口の戦い・石碑

この戦に敗北してからも、新撰組は降伏することなく甲陽鎮撫隊として各地を転戦したのはご存じの通りです。

そして局長の近藤勇が処刑されてからも、元隊士の多くは新政府軍と戦い続けました。

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