幕末期「刀」に見切りをつけた新選組!実は和装で刀剣を振るう隊士はいなかった【後編】 (1/4ページ)
鳥羽・伏見での戦闘の実態
【前編】では、1864年の禁門の変(蛤御門の変)をきっかけに、新撰組が西洋式の兵制や装備を取り入れていった経緯を説明しました。
幕末期、新選組は「刀」に見切りをつけていた!西洋式戦術を取り入れた柔軟な戦闘スタイル【前編】【後編】では、彼らがどのような体制で鳥羽・伏見の戦いに臨んだのかを見ていきます。
今でも鳥羽伏見の戦いは、最新鋭の兵器を使う新政府軍と、旧態依然とした幕府軍の戦いだったというイメージが根強いです。
しかし、実際にはそんなことはありませんでした。新撰組だけを見ても、この戦いに参加した隊士は、全員が小銃で武装しています。しかもその銃の多くはフランス製の最新のもの。刀はあくまでも補助的な役割でした。
この時点で、新撰組はすでに刀剣を主体とした戦闘を想定していなかったのです。