ビートたけし、北島三郎、勝新太郎…昭和の大物芸人「爆笑武勇伝」30連発!コンプライアンスだらけの令和6年をぶっ飛ばす! (4/6ページ)
鶴瓶は、大御所になった2003年にも『27時間テレビ』で泥酔して、浴衣からイチモツを覗かせた。地上波で局部露出3回は今後、破られない“チン記録”でしょうね」(同)
■立川志らくの師匠、立川談志
昨年11月に刊行され、弟子の立川志らくが思い出をつづった『師匠』(集英社)が評判の立川談志(享年)も、逸話を残している。
「71年、参院全国区で当選した談志は、75年に沖縄開発庁政務次官に就任。その後、沖縄海洋博を視察した際、二日酔いで会見に出席したんです。“公務と酒、どちらが大切なんだ”と追及した記者に“酒に決まってんだろ”と言い放ち、わずか1か月で辞任しました」(芸能記者)
■林家三平やケーシー高峰も
噺家では“昭和の爆笑王”こと初代の林家三平(享年)も忘れられない。
「人を笑わせるのが大好きだった三平。病床で意識が混濁したときに、医師から“しっかりしてください、あなたのお名前は?”と声をかけられて“加山雄三です”と答えたとか」(前同)
正月の演芸番組に欠かせない存在だったケーシー高峰(享年85)も、サービス精神の塊だった。
「タクシーの運転手に“近くて悪いんだけど、尖閣諸島まで行って”。舌がんを手術した医師に“タンキューベリーマッチ”。