薩摩の謀略も何のその!15代将軍・徳川慶喜、大荒れのあの「四候会議」で記念撮影する余裕までカマす (3/4ページ)

Japaaan

かつての兵庫港(現・神戸港)

さて、四候会議に参加したのは島津久光、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城。今風に言えば「有識者会議」です。主催者は西郷隆盛たちで、先述の通り彼らはこの会議をリードすることで、幕府の権威をさらに弱体化させることを目論んでいました。

彼らが企んだのは、幕府ではなく朝廷が直接諸外国と条約を結ぶことでした。そうすれば幕府から外交権を事実上はく奪することができます。また、長州藩に寛大な処分を下すことができれば、雄藩による連合政権樹立にもつなげられるでしょう。

会議が始まる前から、大久保利通は調停工作に奔走していました。また、4月12日に入京した島津久光は、慶喜の将軍職はく奪を朝廷に対して進言しています(大久保の入れ知恵)。しかし相手にされませんでした。

余裕の記念撮影

この会議は、完全に慶喜のペースで進められました。四候は、有識者とはいえ非主流派です。彼らは会議のさなかに慶喜の演説に圧倒され、さらに議論を始めてもとても慶喜には敵わず完全に言い負かされてしまいます。

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