伊藤博文よりも「初代宰相」にふさわしい?明治初期の政治家・三条実美は隠れた大物政治家だった (4/4ページ)
もともと三条実美は、五摂家ではないものの同レベルである西園寺家と同じランクの三条家の出身。幕末期は過激な尊王攘夷思想の持ち主でした。
一度は政変で敗れて長州・大宰府へと落ちたこともありましたが、王政復古で赦されて京へ復帰したという経歴の持ち主です。彼の復権を主導したのが岩倉具視で、二人は二人三脚で政府を支え続けたのでした。
ただ、政府内で征韓論による対立が激しくなった際はノイローゼで倒れ、最終的な決断を岩倉に丸投げするなどしたため、無能呼ばわりされることも多い人物です。
岩倉具視が有能すぎたためこうした評価になってしまう面もあるでしょう。しかし明治維新直後は、実は薩長ではなく公家勢力や諸侯たちなどが政治の実権を握っていました。その中で、18年も天皇をサポートし続けた三条の力量は軽視されるべきではありません。
例えば、東京遷都は大久保利通によるものだというデマがありますが、あれは司馬遼太郎の作り話です。「朝廷は江戸に置いた方が日本は安定する」と考えて決定したのは三条実美です。
参考資料:
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年・PHP新書
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