伊藤博文よりも「初代宰相」にふさわしい?明治初期の政治家・三条実美は隠れた大物政治家だった (3/4ページ)
そういえば岩倉具視も、幕末期のビッグネームでありながら、明治時代以降は政治家として何をやったのかあまり知られていないところがありますね。実は彼は、新政府発足直後のこの段階で政府の役職に就いていたのです。
後述しますが、明治新政府発足直後は、薩長はほとんど政府内で権力を持っていませんでした。むしろ政府内で政治を取り仕切ったのは、岩倉や三条を始めとする公家出身の政治家たちだったのです。
決して「無能」ではなかった三条さて、熾仁親王を総裁とする体制は、1868年には早くも廃止。三条と岩倉の二人は、公職の最高位である「輔相」となりました。この職は、諸大臣の上に立ち、天子を助けて政治を行うという立場です。
そして翌年の明治2年7月8日には太政官制が成立し、右大臣に三条が、大納言に岩倉(と徳大寺実則)が就任して参議を束ねることになりました。
さらに明治4年には、三条は太政大臣となります。明治18年に内閣が発足するまでの間、彼はなんと14年間もその職に就いていました。
つまり彼は、安定しない体制の中で肩書はくるくる変わったものの、内閣成立までの18年間もの間、天皇直属の「宰相」として政府の最高責任者を務めたのです。