知られざる偉人。世界初の防弾チョッキはポーランドの司祭が発明した (6/8ページ)
だが、製造ラインを立ち上げようとした彼の試みは、防弾チョッキの製造に関わる膨大なコストによって阻まれることになった。
一方、ヨーロッパではシュクゼパニクがシルク防弾チョッキは自分だけの発明だと主張し始め、ロシアを含む外国企業との取引を模索していた。
この裏切りを知ったゼグリンは、かつてのパートナーとの縁を切った。
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ポーランドのエジソン、ヤン・シュクゼパニク ・彼の名が世に出る前に死亡
しかし、シュクゼパニクのような巧みなビジネス洞察力を持ち合わせなかったゼグリンは、自分の発明に投資してくれる投資家の関心を確保するのに相当苦労した。
それまでゼグリンの教会は、彼の発明に資金援助していたが、そのうち信徒たちですら援助を拒むようになり、ゼグリンは失望した。
結局、彼は教会と袂を分かち、ほかの道を探すことになった。
だがそのまま次第に彼の名前は忘れ去られ、無名のまま1927年に亡くなった。彼の貢献が広く世に認識されることもなかった。
ゼグリンのシルク製防弾チョッキの歴史は、1913年5月の公開デモンストレーションを最後に幕を閉じた。
この防弾チョッキは、木の板に吊り下げられ、かつて多数の試験で使われた32口径リボルバーの弾丸を撃ち込まれたが、このときはまるで穴だらけのスイスチーズのようになってしまった。
ゼグリンはこの失敗の原因はシルクの生分解のせいだと考え、さらなる試験のために新しいものを提供すると誓った。残念なことに、彼がこの約束をやり遂げたという証拠はない。
ゼグリンの防弾チョッキは、銃器の破壊力が上がると効果がないことがわかった。
人間が身に着けやすい柔らかな装甲具という概念は論理的には正しいが、その概念に見合うほど強力な合成繊維が登場するのは、ゼグリンの時代から遥かに後のことだ。