「一揆(いっき)」とは何か?平安時代から江戸時代・近代まで様々な種類があった一揆の歴史をたどる (5/6ページ)
これからお宅を打ち壊すんで、火事が出ないよう火の元を始末させて頂きますね」
怒りに任せて破壊と略奪、暴力に走らない武力行使は、実に日本人らしいと言いましょうか。
かくして幕末期に頻発した打ち壊しや世直し一揆といった武力行使も、世界史上例を見ない紳士的なものとなったのです。
明治時代以降の一揆大政奉還によって徳川幕府が滅亡し、戊辰戦争や明治維新を通じて武士の世が終わりを告げると、不平士族たちの決起が相次ぎました。
従来の学説では「新時代に取り残された旧士族が既得権益を奪還すべく、暴力行使に走った」とされますが、それはごく一部に過ぎません。
彼らの多くは明治政府の堕落に憤り、真に王道楽土の政治を目指す維新のやり直しを志したのでした。
しかし西南戦争によって巨魁・西郷隆盛が倒れると、武力による闘争を断念。
武器を刀から言論にかえてあるべき日本の姿を追求したのでした。これが後世に伝わる自由民権運動です。
また庶民たちも明治政府の搾取と弾圧に抗するべく決起する事例が相次ぎました。
こうした闘争の末に累々と積み上げられた先人たちの亡骸こそ、現代日本の礎に他なりません。
終わりに以上、平安時代から近代にかけて一揆の歴史をたどってきました。