居城を失い浪人に落ちぶれた戦国武将・尼子経久…なんと『とある舞』で城に忍び込み奪還に成功していた (2/3ページ)

Japaaan

この時の尼子氏は、出雲や近江等の守護を務める京極氏の代わりに国を管理する守護代として出雲国に滞在しておりました。

これを好機とみた経久は、国人たちと協力関係を築き始めます。そして、京極氏が持つ寺社領の横取りや美保関公用銭の段銭の徴収拒否を繰り返し、独自の基盤を築きました。

しかし、経久の行き過ぎた行為に室町幕府や京極氏の反感を受けてしまい、文明16年(1484)に居城の月山富田城を包囲されてしまいます。

その上、守護代を剥奪されたことで経久はすべてを失ってしまいました。

浪人経久、鉢屋衆に目をつける

千秋万歳の様子/Wikipediaより

浪人となってしまった経久は、再起を図るべく鉢屋衆(はちやしゅう)に目をつけます。

鉢屋衆は祭礼や正月に芸を演じる芸能集団で、月山の麓に住む鉢屋衆は賀麻党(かまとう)と呼ばれていました。

経久はその党首・鉢屋弥之三郎(はちや-やのさぶろう)を味方に付け、賀麻党が月山富田城で毎年催す新年を祝う舞・千秋万歳(せんずまんざい)に紛れて城を奪還する計画を立てました。

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