明治新政府の征韓論は「韓国を征服する理論」ではない?西郷隆盛と大久保利通のそれぞれの思惑 (2/5ページ)

Japaaan

結論を先に言えば、この解釈は現在は誤解だと考えられています。この誤解は、「征」と「韓」という言葉の組み合わせにあるのでしょう。文字遣いからいって、韓国を征服する理論と受け取られても仕方ありません。

問題は、西郷隆盛と板垣退助の説いていた「征韓」のニュアンスの違いです。

武力行使は「もってのほか」

明治維新では、倒幕について功績があった武士(士族)たちが、時代の変化の中で特権を失って政府に不満を持つようになりました。征韓論には、その不満を逸らせる目的があったとよく言われます。

実際、共通の敵を作って国内の統合を図るという政策が、国外進出と結びつくことは世界史的に見ても珍しくありません。

そして、板垣退助の説く征韓論はまさにこれでした。一方で、西郷隆盛の考えていた「征韓論」には少しニュアンスの違いがありました。

板垣退助像

もともと西郷は、朝鮮に対して「旧来の儀礼にもとづいて」使節を派遣し、場合によっては自分が使節として向かってもいいと主張していました。

旧来の儀礼とは江戸時代の日朝関係、つまり朝鮮通信使の時代の外交のことで、このやり方でまずは朝鮮と接しようと考えていたのです。その上で朝鮮を開国させ、それに応じない場合は武力行使もやむなし、という考えていたんですね。

西郷隆盛を、征韓論を唱えた中心人物であるかのように説明することも問題があります。

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