明治新政府の征韓論は「韓国を征服する理論」ではない?西郷隆盛と大久保利通のそれぞれの思惑 (3/5ページ)
使節として朝鮮に行くのは交渉であると断言していますし、「軍隊を派遣する」などとは発言していません。
むしろ西郷は、武力行使すべしと主張する板垣退助らをたしなめていました。板垣は軍隊を釜山に上陸させる案を出しますが、「そんなことをしたら朝鮮の人々が誤解する。派兵などもってのほか」と、その意見を退けています。
さらに、三条実美までもが「西郷が大使として行くなら軍艦に乗って兵を連れていけ」という申し出をしていますがこれも拒否しているのです。

征韓論について言えば、西郷はむしろ軽率な武力行使について反対していたと言うべきです。彼に強引な主張があったとすれば、あくまで自分が大使として行くのだ、と考えていたことに限られます。
このように、いわゆる「征韓論者」でも考え方のニュアンスは微妙に違っていました。こうした違いは、内地派の方にも存在していました。
内治派も一枚岩ではなかった明治新政府は、あくまでも近代的な国際法に則って国際関係を結び、東アジアの外交関係を再構築しようとしていました。
この考え方と比べてみると、先述の西郷の考え方は時代遅れであり、さらに言えば政府の方針に反するものでもありました。