明治新政府の征韓論は「韓国を征服する理論」ではない?西郷隆盛と大久保利通のそれぞれの思惑 (5/5ページ)

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ちなみにこれも重要なことですが、1875(明治8)年には、大久保が主導する明治政府は江華島事件を起こし、これをきっかけにして翌年、日朝修好条規を結ぶことにこぎつけています。

よって、このような後の展開を考えると、「征韓派と内治派」という単純な二分類は適切ではないことが分かるでしょう。

これまで征韓派と考えられていた人たちが、全員武力行使を前提としていたわけではありません。そして内地派もまた、派兵による国際関係の構築を全面否定していたわけではないのです。

参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社

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