明治新政府の征韓論は「韓国を征服する理論」ではない?西郷隆盛と大久保利通のそれぞれの思惑 (4/5ページ)
このように、あくまでも近代的な国際法に則って国際関係を結ぼうと考えていたのは大久保利通です。彼は国内政治の近代化だけではなく、外交の近代化も目指していました。
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明治時代、数々の政敵を葬り去った冷血漢・大久保利通の意外な一面「すべてはこのひとときのため」ところで、先に大久保と木戸孝允は「内地派」だったと述べましたが、二人の考え方も微妙にニュアンスが異なっていました。
その後、大久保は征韓論を否定しながらも、1874(明治7)年には台湾に出兵しています。木戸はこの大久保の矛盾に憤り、「先に征韓に反対しておきながら、征台をおこなうとは道理に合わぬ」と怒り、一時政府の要職を辞めてしまいます。

大久保は、必ずしも内政を重視するから対外進出しない、とは考えていなかったのです。