自由民権運動の英雄・板垣退助の意外な過去!出世を目指した軍人から転身した理由とは (2/5ページ)
それに「自由」という言葉との関係性から、板垣退助と言えばリベラルな文民というイメージがありますね。しかし、実は彼は生粋の軍人であり、もともとは軍部での出世を目指していた人物でした。
意外なことに、板垣は政治家としてではなく軍人としての活躍が目覚ましかったのです。
今回は、彼のそのあたりの経歴を辿ってみましょう。
軍人としての活躍板垣が、土佐藩の上士(上級武士)出身であることは知っている人も多いでしょう。
そんな彼は幕末期に薩長の武力討幕を支持し、慶応4(1868)に土佐の勤王派を中心とする土佐迅衝隊を結成すると、東山道先鋒総督府参謀として自ら部隊を指揮しました。
戊辰戦争では常に最前線で活躍し、宇都宮城の奪還に成功するなどの功績を挙げています。
また日光では、旧幕軍と交渉して東照宮から撤退させたりもしており、新政府軍で最大級の戦果を挙げた人物と言ってもいいでしょう。彼を、近代日本陸軍の創設功労者の一人とする研究者もいます。
このように彼は生粋の軍人であり、維新後には軍事を統括する兵部省のトップ就任が確実視されていました。
そんな軍人気質の板垣が自由民権運動の活動家へと転向したのは、薩長との権力争いに敗れたからです。