自由民権運動の英雄・板垣退助の意外な過去!出世を目指した軍人から転身した理由とは (1/5ページ)

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自由民権運動の英雄・板垣退助の意外な過去!出世を目指した軍人から転身した理由とは

「自由民権運動」といえば板垣退助

板垣退助という名前を聞くと、自由民権運動「板垣死すとも自由は死せず」などの言葉をすぐに連想する人も多いと思います。

板垣退助(Wikipediaより)

明治維新後の日本政界では、薩長の有力者が主要ポストを公然と牛耳っていました。これに対し、前時代的な体制では西洋列強に太刀打ちできないと不安を抱き、日本でも議会を開設しようと働きかけたのが自由民権派と呼ばれる人々です。

自由民権運動は、天下公論に基づく政治を求める運動として歴史教科書にも登場しますね。

特に板垣は愛国公党を設立し、国会の開設を求める意見書を政府に提出するなどしました。このことから、明治初期の政治運動を代表する人物として高く評価されることも少なくありません。

伊藤博文や大隈重信と並び、「憲政の三巨人」の一人として挙げられることもあるほどです。

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