自由民権運動の英雄・板垣退助の意外な過去!出世を目指した軍人から転身した理由とは (4/5ページ)

Japaaan

奇しくも、板垣を退けて兵部大輔の地位を獲得した山縣は、根っからの政党政治嫌いでした。板垣は、政治家時代も、また下野してからも、山縣と対立する位置関係にあったことになります。

旧100円札で肖像が使われたことも

その後、自由民権運動は地主層を中心に全国に広まり、板垣は自由民権運動の旗手とみなされるようになっていきます。

板垣が希望通り将校となっていれば、戦争史に残る名将となっていたのは間違いないでしょう。しかしその場合、自由民権運動の展開は遅れ、薩長の藩閥体制はより強固になっていた可能性もあります。

「自由民権運動の英雄・板垣退助の意外な過去!出世を目指した軍人から転身した理由とは」のページです。デイリーニュースオンラインは、山縣有朋自由民権運動明治維新幕末明治時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る