自由民権運動の英雄・板垣退助の意外な過去!出世を目指した軍人から転身した理由とは (3/5ページ)

Japaaan

山縣有朋との対立の構図

もともと板垣は、新政府の兵部省の実権を握る兵部大輔の地位を望んでいました。しかし希望はなかなか叶わず、このポジションには二代続けて長州藩出身者が就任していました。

そして、三代目でようやく板垣が候補に挙がったものの、長州藩の反対工作にあって白紙化。この時、兵部大輔の地位を獲得したのは山縣有朋でした。

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山縣有朋像

また、いわゆる征韓論争では朝鮮への軍事行動を説いたものの、大久保利通らの反発で潰えてしまいました。彼はここで軍事的なイニシアチブを発揮する機会にも恵まれなかったのです。

そこで板垣は、ここでは希望を叶えることができないと覚り、新政府に見切りをつけましたた。その後に土佐へ下野して政治結社の立志社を結成し、自由民権運動を開始したのです。

今で言えば、与党で好ポジションを得られなかった政治家が野党に転じ、リベラル路線の活動家に転身したようなものでしょうか。

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